
蕨市の立てこもり事件の犯人として86歳の鈴木常雄容疑者が逮捕されました。
鈴木常雄容疑者は立てこもりをする直前、自宅を放火し、さらには病院にも発砲していたりと数時間の間に何度も犯罪をしていました。
そしてどうやら元暴力団だったということも判明してきていますね。
いとも簡単に犯罪を犯し、発砲にも躊躇がなかった鈴木常雄容疑者。
いくら暴力団と言えどもこんなことをよくも容易くできますね。
一体どのような人生を過ごせばこのようなことができるようになってしまうのでしょうか。
・鈴木常雄の生い立ちはどうだったの?
・鈴木常雄の経歴は?
・鈴木常雄は暴力団に入る前には何をしていた?
鈴木常雄容疑者のこれまでの生い立ちや経歴が気になるので今回は…。
・鈴木常雄は暴力団に入る前は何をしていたの?
以上について調べてみたいと思います。
鈴木常雄の生い立ちや経歴がヤバい?
鈴木常雄容疑者は現在86歳です。
ということは生まれたのは1936~1937年だということがわかります。
まさに鈴木常雄容疑者が生まれた年は日中戦争の時代であり、戦時中の状況の中生活をしてたことが伺えます。
出身がどこなのかは不明ですが、日本のどこの地区でも決して裕福な状態ではないですよね。
1945年に第二次世界大戦が終戦した時期は鈴木常雄容疑者が8歳ごろでしょうか。
まだ小学生ながら生きるために必死で過ごしていたことは想像できます。
この頃は食料不足だったため、闇市が主流となっていたほどです。
主食の米をはじめ、衣料、生活用具などの生活必需品のほとんどを配給統制のもとに置いた戦時経済体制は、敗戦後急速にその機能を麻痺(まひ)させていった。
このような食糧難、生活難にさらされた国民の生存をかろうじて支えたのが、家庭菜園であり、野草であり、買出しであり、闇市であった。
引用元:コトバンク
闇市では衣料品や薬などが何でも売っていたそうで、法外な金額でもみんな買っていくほど食べ物が必要だったようですね。
そんな生きるか死ぬかの時代を生き抜いてきたであろう鈴木常雄容疑者ですので、その生きるための力というのは並大抵なものではなかったのかもしれませんね。
だからこそ86歳という年齢でも行動を起こす力はとんでもなかったのかもしれません。
鈴木常雄は暴力団に入る前は何をしていたの?
鈴木常雄容疑者がいつから暴力団に属していたのは現時点ではわかっていません。
しかしおそらく若いころから属していたことが伺えますね。
・小指がない
・眉墨
・拳銃所持
今回の鈴木常雄容疑者の姿は以上3点が注目されました。
指がないというのはまさにヤ〇ザのしきたりでも有名ですが、なにかやらかした際に「指を詰める」と言われる行為です。
それをしていること、さらに眉墨をいれていることと拳銃を所持していること。
これら3点を照らし合わせてみても暴力団に入って日の浅い人物の風貌ではないのではないでしょうか。
となるともしかしたら10代後半から20代前半には既に暴力団として生活をしていたのではないかと想像できます。
鈴木常雄容疑者の若いころの1960年~1970年代は日本でも任侠映画なども流行っていました。
そういった影響もあったのか、そもそもそれ以前から興味があって属したのかはわかりかねますが、少なくとも20代には既に暴力団だったと考えられます。
暴力団に属する前ですが、そもそも鈴木常雄容疑者は素行があまりよくなかった可能性も考えられます。
つまり学生生活をきちんと送っていなかった可能性も高いですよね。
まじめな性格できちんと常識的な行動をしている人が突如暴力団に入るのは、あり得ないわけではないですが少数派なのではないかと。
そもそも鈴木常雄容疑者の学生時代のことの高校進学率は60%を下回っていたとか。
となると鈴木常雄容疑者は中卒の可能性も高いですね。
まだまだ不明な部分があるので新情報が入り次第追記していきますね。